NEW 佐藤先生のLPレコードから ⑤

前回に続き佐藤先生2枚目のLPからです。
全部で13曲収録されている中から今回は『宵待草』、『花嫁人形に寄せて』、『さくらのワルツ』の3曲をアップします。 『花嫁人形に寄せて』は琴との二重奏です。


2024. 4. 15

佐藤先生のLPレコードから ④

今回から別のレコードです。佐藤先生2枚目のLPです。
全部で13曲収録されている中から今回は『春をうたう』、『数え歌変奏曲』、『五木の子守唄』の3曲をアップします。 『春をうたう』は以前(2021年2月10日)に『春の歌メドレー』としてカセットテープ版のものをアップしましたが、そのレコード版です。


2024. 2. 5

佐藤先生のLPレコードから ③

このレコードの最終回です。
レコードのトラックとしては2つ分なのですが6曲になります。 曲目は『ヴォルガの船歌』、『行商人』、『野ばら』、『シューベルトの子守唄』、『アラビアを行く』それと琴との二重奏の入った『荒城の月』です。


2024. 1. 21

佐藤先生のLPレコードから ②

1月1日にアップしました故佐藤秀廊先生の演奏(佐藤先生のLPレコードから ①)をもうお聴きになられたでしょうか。 これらが録音されたのは昭和51年(1976年)です。先生は1899年のお生まれですから77歳の時の演奏となります。 先生の音色の力強さ、柔らかさなどその素晴らしさを十分に味わえる演奏と思います。

第2回目は『城ヶ島の雨による幻想曲・出船夜想曲』と佐秀会室内楽団による『孟姜女(もうきょうじょ)』の演奏です。


レコードジャケットに書かれている佐秀会室内楽団メンバーです。指揮の斎藤寿孝先生はじめ、故間中勘先生などのお名前が連なっています。

佐秀会室内楽団メンバー

2024. 1. 11

佐藤先生のLPレコードから ①

新年おめでとうございます。

昨年はコロナが5類となり、日常を取り戻し始めました。 今年は昨年以上にハーモニカの演奏会、そしてサークルのボランティア活動が盛んになりそうです。

お正月の間は、みなさまゆっくり過ごされているのではないかと思います。ゆったりとした気分で、故佐藤秀廊先生の演奏をお楽しみください。手元にあるLPレコードの曲を3回に分けてアップします。 このレコードは昭和51年(1976年)8月16日に久留島武彦文化賞受賞を記念して上野の東京文化会館小ホールで行われた「佐藤秀廊浪漫的口琴独奏会」の実況録音盤で、とても貴重なものです。

まず第1回目は琴との二重奏の『さくら八段』、それと佐藤先生のお話『パリ夜話』+演奏『田園素描より(村祭り・野花・舟唄・収穫)』の2つををアップします。


2024. 1. 1

画家佐藤先生の作品展示

佐藤先生は少年時代から絵を学び、画号「佐藤日梵」として画家としても活躍されておりました。 しかし関東大震災で絵筆を持つ右手を負傷し、画家の道を断念したことは以前(2021年6月9日)ここに書きましたが、それを新潟市の潟東樋口記念美術館の館長さんが見て問い合わせがありました。

潟東樋口記念美術館では新潟県出身の日本画家、尾竹三兄弟とその師弟の作品の展示会を企画しておりました。 佐藤先生は尾竹三兄弟の二男尾竹竹坡(おたけちくは)の弟子だったのですが、佐藤先生の作品が全く見つからずいろいろと探していたところ、たまたま私のホームページに載せた佐藤先生の絵葉書を見つけたとのことでした。

私の持っている絵葉書を展示していただくことになりましたので、9月29日に日帰りで見に行ってきました。車で片道3時間半でした。館長の橋本さんから尾竹三兄弟とそのご師弟の作品についてとても丁寧に説明していただきました。 佐藤先生の作品は、残念ながら大きい絵が見つからず、私の絵葉書だけでしたのでちょっと小さな扱いでしたが、一つのコーナーを取って展示されておりました。 館長さんは「絵葉書の絵からの判断ですが、佐藤先生は怪我がなければ画家として大成したろうと確信しました」とおっしゃってました。

企画展のチラシ 尾竹三兄弟と弟子たちの写真
尾竹三兄弟と弟子たちの写真
後列中央の矢印が佐藤先生。
名前は「佐藤秀良」となっています
潟東樋口記念美術館前で橋本館長さんとの写真
美術館前で橋本館長さんと

この企画展は12月3日まで開催されています。興味のある方、またはお近くの方は見に行かれて、画家としての佐藤先生にも思いを馳せてみてください。


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2023. 10. 1

小夜曲

昔の佐藤先生のレッスンの録音を聴き直していたら『小夜曲』(セレナーデ)を通しで吹いて下さったのがありました。この曲はレコードには収録されておりませんので、先生の演奏はとても貴重なものです。是非皆さんに聴いていただきたくてアップしました。

またこの曲のレッスンの中で、バイオリン奏法のコツなどを実際に吹きながら丁寧に教えていただきましたので、その部分などもアップします。ラジカセでの録音で雑音が入っていますが聴いてください。

2023. 4. 15

箱根の山

近々、この曲を演奏会で吹こうと思っているので、昔佐藤先生からレッスンを受けた時の録音テープを聴き直しました。背景に雑音が入っており、また古いテープですので劣化して(伸びて?)少し音が低くなっているようですがご容赦ください。

この曲は pp(ピアニシモ)や ff(フォルテシモ)、クレッシェンド・デクレッシェンドなどがたくさん出てくる、強弱のメリハリの効いた曲です。 こういうところの表現方法について丁寧に教えていただきました。また、馬子唄の部分についても「(馬子は)息の続く人は勝手に節を自由に伸ばすので、そういう感じで吹くように」とおっしゃって、実際に吹いて説明してくれました。

佐藤先生演奏の『箱根の山』は幾つかのレコード・カセットテープで販売されていますが、持っている楽譜に一番近い Tiger の「佐藤秀廊ハーモニカレコード」(17cmLP盤)に収録されている演奏をアップしました。

2023. 2. 23

荒城の月

11月24日の県立図書館での県民ライブコンサートで私が『荒城の月』を演奏する予定ですので、改めて、昔の佐藤先生とのレッスンのテープを聞き返しました。その時受けた注意点の内3点をアップします。 先生は常々「楽譜では表せないことがあるので、私の演奏を良く聴いて真似してください」とおっしゃっていました。このレッスンでの説明内容も楽譜では表しきれないことばかりでした。

併せて、佐藤先生演奏の『荒城の月』の独奏(ロングバージョンとショートバージョン)、それと琴との二重奏の3曲アップしますのでお聴きください。琴との二重奏は8分少々と長いですが、独奏と違った編曲をお聴きください。

その琴との二重奏の楽譜が載っている本です。先生にお米を送った時にお返しにいただいたものです。

琴との二重奏の楽譜の本 琴との二重奏の楽譜の本に書かれた先生のサイン










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2022. 11. 3

汽車の旅

今年は鉄道開業150年になります。明治5年(1872年)10月14日に新橋・横浜の両停車場で開業式が行われ、10月15日から旅客列車の運転が開始されました。

その後、どんどん路線が延び、有名な『鉄道唱歌』が作られました。1900年5月に発表された東海道編をスタートとして、山陽・九州編など最終的に全5集334番の長い歌です。

佐藤先生はこの『鉄道唱歌』に『汽車ポッポ』と『汽車』を合わせてメドレーとした『汽車の旅』を作っています。昔、私が佐藤先生宅でこの曲のレッスンを受けている録音テープがありましたのでご紹介します。 レッスンの中で佐藤先生は汽笛の工夫のことを話してくれました。またまだ難しい分散和音が上手に吹けない私が易しく吹く方法を教えてくれました。

佐藤先生の「ハーモニカによる日本の歌」のレコードに収録されている佐藤先生の演奏もアップしますので、見事な走りっぷりお聴きください。

2022. 10. 10

45年前の『ハーモニカ150年祭』

前回の「ひとこと」のところで、「全日本ハーモニカ連盟の常任理事会で、8月2日を「ハーモニカの日」とすることが決まった」とお知らせしました。2027年はハーモニカが生まれてから200年になりますので、それに向けていろいろと活動されるのではないかと思っています。

45年前のハーモニカ150年の節目の年には『ハーモニカ150年祭』としてたくさんの企画がありました。私も佐秀会の会員として、その一連のコンサートの中で演奏いたしました。

『ハーモニカ150年祭』が終わった後、佐藤先生は『佐秀会NEWS』への寄稿で「ハーモニカ音楽に対する一般の認識はまだまだ低い。『ハーモニカ150年祭』を契機として、それぞれの立場で、一人一人が、どんなに小さなことでもよいから、日本のハーモニカ文化に貢献するよう努力してほしい」とおっしゃっています。 私もそれに応えるように頑張っているつもりです。皆さんも私と一緒にハーモニカの音色を広めましょう。


『ハーモニカ150年祭』チラシ1 『ハーモニカ150年祭』チラシ2 『ハーモニカ150年祭』チラシ3 『ハーモニカ150年祭』チラシ4 『ハーモニカ150年祭』チラシ5 『ハーモニカ150年祭』チラシ6










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2022. 9. 1

小学校でのハーモニカ教育

佐藤先生はそれまでおもちゃとしてしか見られていなかったハーモニカを芸術楽器に育て上げ、長い間青少年教育に尽くした功績で1975年に「久留島武彦文化賞」を受賞されました。受賞を記念して、当時佐藤先生が教えていたカルチャーセンター産経学園のインタビューで、先生は次のように話されています。


「ドイツへ行った時、むこうの小学校ではみんなハーモニカを教えているんですね、僕はうれしかったな。日本では唱歌といって歌ばかりやっていた時代です。その時代にベートーベンの生まれたドイツではどこの小学校でもハーモニカを教えているんです。これは日本に帰ったらぜひ、器楽教育を進言しようと思った。 日本の子供は、ドレミファのミ、ファとシ、ドの半音が正確にできない。これを矯正するためにも、器楽教育は必要だと思って、そのための材料を集めて、そして帰ってから文部省にそれを提出しました。しかし、お役所仕事は大変スローモーで、それから30年ぐらいして、諸井三郎さんという作曲家のえらい先生が賛同して下さって、やっとハーモニカ教育が始まったわけです。

しかし、最初は学校でハーモニカを教える教え方がわからない。どんな風にやるのか、ひとつモデル先生になってくれというわけで、池袋の豊島師範や小金井の学芸大で、正科でハーモニカを教えたんです。そこに全国から学校の先生方が教え方を見に来ました。

今は小学校で1年生、2年生はハーモニカ、3年生からたて笛になっています。僕はこれには反対なんです。たて笛は2、3人もそろって同じ曲をやると、もう音程がまちまちでハーモニーしません。ハーモニカでしたら何十人やっても音程が合います。僕の考えではたて笛は小学校では無理だと思います。」



私が小学校の頃はこの流れでハーモニカを習いました。しかし1970年代後半に、目に見える鍵盤の方が教えやすいという理由で鍵盤ハーモニカに変わってしまいました。とても残念です。私の子どもたちも鍵盤ハーモニカ世代です。


またこのインタビューで、先生はハーモニカの名前の由来についても以下のように話しておられます。


「ハーモニカが生まれたのはドイツです。昭和2年が100年祭なので、昭和2年より100年前の話ですが、スイスとドイツの国境ぞいにボーデン湖という大きな湖があるんです。その湖の周辺にはスイス時計の下請工場がたくさんあって、そこで時計ができると当時の都ウィーンに売りに行くんですね。

売れるとお金がもうかるからおみやげを買って帰る。その中にいつも孫娘におみやげを買って帰る人がいたんです。ある時、そのおみやげに、プカプカ音のするものを買って帰って、その時は何も思わなかったのですが、1ヵ月程して孫が、それをプカプカ吹いているのを耳にしたんですね。 『ハテナ、音階ができたらすばらしいものになるな』と思って中を解剖してみると、可能性がある。それでいろいろ工夫して吸っても吹いても音が出るように作ったわけです。

つまり吹く時にドミソドを出して、吸う時に、その間にシレファラという音を入れて作った。そうすると、全体を吹く時はドミソドが出る。吸う時はシレファラが出ますからハーモニーしますね。だからハーモニカという名前をつけた。これが最初なんです。」



産経学園のインタビュー記事 産経学園のインタビュー記事 ちなみに、このインタビュー記事の写真で佐藤先生と一緒にハーモニカを吹いているのは私です。









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2022. 5. 13

佐藤先生のレッスン:宵待草

コロナ禍でレッスンを全てお休みしています。お家時間が増えたため、改めて私が昔佐藤先生のレッスンを受けた時のテープを聴き直しています。今、何人かの生徒さんが『宵待草』の練習をしていますので、私が『宵待草』レッスンを受けた時の先生のコメントの一部を紹介します。 先生は、この曲は2つのテンポ、アレグレット(やや速めに)とアダージョ(遅めに)の吹き分けに気をつけるようにおっしゃっています。

楽譜では36小節目のバイオリン奏法のところからアレグレットになっていますが、その1つ前の小節からアレグレットで吹くようにと教えていただきました。

そのあと(4分頃から)「前奏を少しやってみましょうか」と言って吹き出し、前奏だけかと思ったら最後まで通して吹いて下さりました。カセットテープですので音はちょっと良くありませんが聴いてみてください。

2022. 2. 27

佐藤先生直筆の楽譜と色紙

佐藤先生直筆の楽譜
古い楽譜の中から、佐藤先生が直筆で書かれたものが見つかりました。昭和50年に編曲された『月の砂漠』です。本は『月の沙漠』と書かれていますが、一番最初に書かれたこの楽譜は『月の砂漠』となっています。

私がAmのレッスンに入ったばかりでしたので、佐藤先生は楽譜の下の余白に、音の並び順を書いて説明してくれました。








佐藤先生直筆の色紙 この色紙は、佐藤先生が昭和62年に「勲四等瑞宝章」を叙勲されたお祝いの会で配られたものです。 生涯現役を貫いた佐藤先生にピッタリの言葉です。レッスン室に飾ってあります。





どちらの写真もクリックすると拡大します。



2021. 10. 6

佐藤先生の描かれた絵

佐藤秀廊先生は少年時代から絵を学び、ハーモニカも独学で勉強されていました。先生のお父さんは先生を画家にさせたがっていたようです。 先生はハーモニカ奏者として、また画号「佐藤日梵」として画家として活躍されておりましたが、関東大震災で絵筆を持つ右手を負傷し、画家の道を断念し、その後はハーモニカ奏者としての道を歩まれました。

ハーモニカ奏者としての先生は良く知られていますが、画家としての先生がどんな絵を描いておられたのかはあまり知られていないと思います。絵葉書になったものが私の手元にありますので紹介します。 一枚目の『沈みゆく平家の人々』は先生編曲の『青葉の笛幻想曲』が思い起こされます。








絵をクリックすると拡大します。

2021. 6. 9

春の歌メドレー

私が佐藤先生にレッスンして頂いた時の録音テープの中に、この曲について教えていただいていた時のものがありました。長すぎて全部は出せませんので、前奏の部分の入り方と、『ちょうちょう』のトリルの吹き方を教えてくださっているところをアップします。 先生は「遠くから春の風が吹いてきて、小川の氷が溶けて水が流れ出す様子をマンドリン奏法で演奏し、春たけなわになって蝶々が飛び交う様子を表現しなさい」と教えてくれました。


この曲を先生が演奏されているカセットテープが市販されていますので、それをアップします。

先生はよく「楽譜には表せないところがあるので、私の演奏を聴いてください」とおっしゃっていました。この曲では特に『むすんでひらいて』の演奏が楽譜よりもリズミカルに、子供たちが遊びまわる春の楽しさが表されていると思います。 何しろ40年以上も前のテープですので音質はいまいちですが、先生の演奏を聴いて「楽譜には表せないところ」を感じ取ってください。イントロは pp(ピアニッシモ)でとても弱く吹かれています。

2021. 2. 10

佐藤先生のお話:サンタルチア幻想曲

佐藤先生は、ナポリを訪れた時に、その空の美しさ、海の青さに驚いたそうです。この曲はその美しいナポリに行って現地の人が歌っているのを聴いて編曲を行ったものなので、貴重な譜だとおっしゃっていました。 また、このような美しい環境から生まれた民謡なので、この曲を演奏に当たっては、先ず何よりも第一に、最も美しい景色を目に浮かべて演奏することが大切ですともおっしゃっています。 レッスンの時に先生は日本で一般に使われている前奏を吹いて、その後で先生が編曲された後奏を吹いて下さいました。

カデンツァのところは先生が特に力を入れて編曲された部分で、レッスンの時には先生のイメージする流れを歌ってくださいましたので、それを載せました。

バックグラウンド・ノイズが結構入っていますので聞きにくいところがありますが、ご容赦ください。

2021. 1. 8

佐藤先生のお話と演奏:帰れソレントへ

「標準ハーモニカ教本 中級・上級編」の中にも入っている『帰れソレントへ』について、佐藤先生の説明と演奏を私が受けたレッスンの録音から抜粋しました。歌う気持ちで演奏する大切さをお話くださっています。 近いうちにこの曲を演奏してアップする予定です。

2020. 11. 20

佐藤先生の歌声をアップ:故郷を離れる歌

前回のエピソードでは、残念ながら著作権の関係で先生の歌声をお聞かせできませんでしたので、私のレッスンの時に先生が歌って下さったのをお聞かせします。

レッスンの曲は『故郷を離るる歌』です。最初からテンポが崩れていると注意され、ずっと一緒に歌ってくださいました。14小節からの繰り返しのところは「一回目はゆっくりにならないように」と仰っています。また『仰げば尊し』のバイオリン奏法の後のカデンツァのところは模範演奏をしてくださっています。後は最後の3小節も模範演奏をしてくださっています。

近々、先生の注意を思い出しながらこの曲を演奏してアップする予定です。

2020. 10. 28

佐藤先生のエピソード

10月13日は佐藤秀廊先生の命日です。先生は明治32年(1899年)に東京でお生まれになり、平成2年(1990年)に91歳でお亡くなりになりました。

先生はご高齢になられてもとてもお元気で、1979年に80歳になられたのを記念して9月24日に「八十路を歌うハーモニカ」と題して特別演奏会を行いました。その演奏会に先立ち、同年9月10日のNHKテレビの高齢者向け情報番組「お達者ですか」にご出演され、30分に渡って酒井広さん、小鳩くるみさんと軽妙なトークを繰り広げました。

放送の中で、先生はヨーロッパで開催された「ハーモニカ100年祭」に日本代表として参加されて優勝された時の事や、思い出の曲、若い頃の夢など幅広く語られており、最後に「埴生の宿」を小鳩くるみさんと一緒にお歌いになっています。80歳にして歌手の小鳩くるみさんが感心するほどの美声です。 放送の中で司会の酒井さんから「これから始める方へのアドバイスをお願いします」と言われて、先生は「水泳の時は実際に水に入って水に慣れなければいけない。ハーモニカもハーモニカに慣れなければいけない。ですから楽譜なんか分かっても分からなくても良いから、年中ブカブカ吹いていること。絶えずハーモニカに浸っていると、ひとりでに頭の中にある音楽が探り吹きで吹けるようになる。譜面にこだわる必要はない。譜面を読めないのはむしろ名誉なこと。」と熱く語っておられました。

当時はまだビデオレコーダーは普及しておらず、映像は残っておりませんが、私が録音した音声は残っております。先生のお話や美声をここにアップして皆さんにお聞かせしたいのですが、残念ながらNHKではテレビやラジオの映像や音声をインターネットに流すことは認めておりません。録音したものをここにアップすることはできませんが直接お聞かせすることは出来ますので、機会がありましたらお聞かせします。 その代わりに、同年1月に私がレッスンに行った時の録音に「昨年数えで80歳になった。これまで仕事をしてきたが、これで一区切りとして、これから生まれ変わったつもりで新しく生き直して新しいことをしたい。随筆も書きたいし、指導書も本格的なものを書きたい」という、常に新しいものを求める佐藤先生のお声が残っておりましたので、そちらをアップします。短いですがお元気なお声をお聞きください。

先生は、常々「僕は種を蒔いているだけだよ」とおっしゃっておりました。先生が蒔いていただいた種が大きく育ちますように、私も微力ながら尽力して行こうと思っています。

2020. 10. 12

佐藤先生のお話:『行商人』について②

『行商人』について①の続きです。『行商人』の最後の部分の演奏についてお話しされています。

『行商人』を演奏された方なら経験がおありでしょうが、最後の部分でオクターブ奏法で盛り上がり、解放ベースで伸ばしている時に、観客の皆さんが曲が終了したと思って拍手をしてしまうことがあります。 本当はバイオリン奏法による4小節が残っているのです。そのような時にどうすれば良いか佐藤先生がユーモアたっぷりにお話をされています。

2020. 9. 16

佐藤先生のお話:『行商人』について①

私がレッスンを受けている時の録音です。先生が『行商人』を編曲された時の事や、この曲をロシアで演奏して大喝采を受けたこと、佐藤先生ご自身がこの編曲を気に入られているということなどをお話しされています。

佐藤先生のご自宅でのレッスンでしたが、ちょうど家の工事を行っており、その雑音が入ってしまいました。

2020. 9. 5

佐藤先生のレッスン:ワルツについて

佐藤先生が『ワルツ・アコーディオン』を吹きながらワルツについてのお話をされています。

佐藤先生は昭和2年(1927年)にドイツのトロシンゲンで開かれた「ハーモニカ100年祭」で入賞し、その後ヨーロッパ各地を演奏旅行した後、3年ほどフランスやドイツを中心に遊学されました。 その影響で佐藤先生は海外の曲をたくさん編曲しており、その中に軽快なワルツの曲がたくさんあります。このレッスンではワルツのテンポなどについてお話をされています。

2020. 8. 5

佐藤先生の演奏:青葉の笛(琴との二重奏)

青葉の笛②の話のところで出てきた佐藤先生の『お琴との二重奏の青葉の笛』です。独奏の『青葉の笛』とは異なります。 お近くにお琴を弾かれる方がおりましたらご一緒にいかがでしょうか。お琴の楽譜もあります。

佐藤先生はこの『青葉の笛』以外にも『荒城の月によせて』、『月の沙漠』、『花嫁人形』などお琴との二重奏を30曲ほど編曲されています。琴とハーモニカを合わせるための編曲には大変ご苦労されたようです。

2020. 7. 10

佐藤先生のレッスン(青葉の笛②)

上の①とは別な日のレッスンです。

先生はレコードを参考に練習するようにおっしゃられましたが、私は先生の「お琴との二重奏のテープしか持っていません」と言いましたら通して曲を吹いてくださいました。 この日も最後に「まねをするように」とおっしゃっております。楽譜はもちろん大切ですが、耳から音を聞いて練習する大切さを教えてくださっています。

2020. 6. 28

佐藤先生のレッスン(青葉の笛①)

『青葉の笛幻想曲』の楽譜2ページ3段目のヴァイオリン奏法のところから最後までのレッスンを受けている様子です。

ヴァイオリン奏法の部分については、佐藤先生は「(ニュアンスを)楽譜では書き表せなかった!耳で聞いてまねをするように」と模範演奏をしてくださいました。 H.C.奏法から最後までの3段についても細かくご指導くださっています。

私の演奏に合わせて先生はずっと歌ってくださっていますので、歌声が聞こえない部分は先生の演奏です。レッスン中、話し声や笑い声が入っているのは、何人かの生徒さんが集まることが多かったからです。

2020. 6. 28

佐藤先生のレッスン(荒城の月)

私が佐藤先生に『荒城の月』のレッスンを受けている様子の一部です。全部で11分35秒です。レッスン中はいつも朗々としたお声で一緒に歌ってくださっていたので安心して吹けました。

前奏のところで装飾音とトリル(tr)についてお話しされています。こちらのトリルはゆっくり入ってだんだん早くとおっしゃっています。終りの部分と比較してください。 私のレッスンですので、ほとんど私が吹いていますが、後半6分35秒付近と7分45秒付近で先生が実際に吹いてくれています。音が全く違います。

先生は女性にはとてもおやさしくて「女性はオクターブは難しいから、前奏の後は分散和音に入りなさい」とおっしゃってくださり、しばらくはオクターブを吹いていなかったので、未だにオクターブは苦手です。

最後のほうで佐藤先生が編曲についての貴重なお話をされていますのでお聞きください。

2020. 6. 19

佐藤先生との写真

佐藤先生の写真 佐藤先生に教えていただいていた頃の写真です。西荻窪の佐藤先生のご自宅前で撮ったものです。

当時、佐藤先生のハーモニカ教室があったのは大手町の産経学園とご自宅のみでした。 私は学生時代は町田市に住んでおりましたので地下鉄を使って夕方の産経学園の教室に通いました。産経学園では斎藤寿孝先生がお勤め帰りに時々寄られておりました。

卒業して栃木に戻りましたが、栃木から西荻窪のご自宅に通いました。ご自宅には間中勘先生もレッスンにいらっしゃっており、帰りのバスもご一緒したこともありました。 ご自宅の先生はリラックスされ、お着物姿が多かったことが思い出されます。

2020. 6. 15

佐藤秀廊先生のこと

佐藤先生の写真 佐藤秀廊先生(1899年~1990年)は複音ハーモニカでの分散和音奏法、ヴァイオリン奏法、マンドリン奏法などの日本的奏法を創案し、またマイナーハーモニカを実用化し、完成させました。 現在私たちが演奏しているものは全て佐藤先生のお陰と言っても過言ではありません。

学生時代に佐藤先生の演奏会を聴きに行き、そこで聴いた「荒城の月」の音色に感激し、即座に先生の教室に入らせていただきました。先生は70歳代中頃でした。それが私のハーモニカとの付き合いの第一歩です。

佐藤先生のお声をお聞きになった方はほとんどいらっしゃらないのではないかと思います。幸いにも、私が教えていただいた時に録音したカセットテープに先生のお声が残っております。 もう45年以上も前で、まだウォークマンのような小型の録音機も発売されておらず、大きなラジカセを抱えてレッスンに通いました。

現在のデジタル録音と違って音質も良くはありませんが、先生直接の曲についての説明は皆様の演奏のお役に立つと思いますので、ユーモアあふれる先生の話ぶりやさまざまなエピソードなどと併せてこれから少しずつここにアップしようと思います。

2020. 6. 15